雑念書き殴り

時々考え込んだことを無駄にしないために書き留めておく

続3Dプリンタのススメ

昨年、新型コロナの流行による非常事態宣言で巣ごもりを余儀なくされた時、ちょうど手ごろな価格で手に入るようになった光造形3Dプリンタを購入した。それからおよそ1年、奇しくも再び非常事態宣言によってまたしても巣ごもりする羽目になったタイミングで、今度は熱溶融積層(FDM)方式の3Dプリンタを追加することにした。というのも、光造形3Dプリンタを1年運用してそれを使いこなすノウハウが十分蓄積できた一方で、やはり光造形3Dプリンタにも得手不得手があり、不得手な部分を補うには別方式の3Dプリンタを併用するのが一番いいのではないかという結論に達したからだ。ここらで一般的なFDM方式のノウハウを蓄積しておくのも面白そうだというのが本音だが、表向きにはFDM方式の方が得意なことはFDM方式でやった方がクオリティが高い造形物が作れるよね、ということにしておく。

 

さて、光造形方式に併せてFDM方式も追加することにしたのは、なにも光造形方式に飽きたとか、もう嫌だとかいうわけじゃない。とはいえ、FDM方式導入に踏み切らせたのにはやはり光造形方式だけでやろうとしても難しいことがいろいろ見えてきたからだ。そこで、まず光造形方式ではどうしても苦労する部分について明らかにしていこう。

 

まず第一に、やはり光造形方式の大変な点は造形後の後処理工程の多さであろう。液体のレジンをUVで一部硬化させて積層するという仕組みである以上、造形物には大量の未硬化のレジンとそのレジンを溶かしている溶媒が付着している。そのため、造形終了後には造形物を徹底的に洗浄する必要がある。そして、洗浄後には次の工程に進む前に造形物の乾燥を待たなければならない。自分は洗浄にイソプロパノールを用いて大量の廃液に苦しみたくないので水洗いレジンを使っている。そのため、洗浄そのものは水道水でじゃぶじゃぶ洗うだけで済むのだが、その後の乾燥はどうしても一晩放置する必要がある。そして、乾燥した後には積層された層同士を強固に結合させるために二次硬化と呼ばれる追加でUVをまんべんなく当てるという工程が必要になる。専用のチャンバーを購入すれば10分ほどで終わる工程ではあるが、どうせ一晩乾燥のために放置するので、翌日に太陽光に30分ほど当てることで無料で二次硬化をさせるようにしている。このような後処理工程が必要なのでどうしても造形物が実際に利用出来るのは造形した翌日になってしまう。

 

次に問題になるのは造形物の大きさだ。光造形はUVを透過するLCDパネルのサイズによって造形できる最大サイズが決まってしまう。一般的な安価なプリンタではだいたい7cm x 11cmといったところだ。当初はこれだけのサイズがあれば十分なものが作れるだろうし、もしそれよりも大きなものが必要であれば部品を分割して後でネジ止め等で結合すればよいと思っていたのだが、実際に運用してみるとこれがなかなか厳しい制限だ。3D CADでデザインした後にどう向きを変えても造形範囲にうまく収まらなかった時の絶望感たるや筆舌に尽くしがたい。一度設計したものを改めて分割して後から結合できるように設計しなおす手間は計り知れない。また、ネットでさまざまなモデルをダウンロードできるにも関わらず、ほとんどのモデルが造形エリアの制限で利用出来ないというのはこれまた歯がゆいものだ。

 

そして、最大の問題が、UVレジンの材質としての制限だ。水洗いレジンで造形したものはどうしても機械的強度を求めることができず、衝撃がかかったり強い力で変形させられると簡単に割れてしまう。そのため、力がかからないような用途にしか利用することができない。また、耐候性のなさも問題だ。レジンの性質上、積層した層の隙間に湿気が入ると劣化して壊れやすくなってしまう。また、UVを吸収しやすい材質なのでずっとUVが当たる環境でも劣化が進んでしまう。そのため、屋外で利用する造形物についてはUVカットクリアコートで丁寧にスプレーして層の隙間をコーティングして塞ぐとともにUVがレジンに届かないようにカットする必要がある。また、造形後のレジンの収縮も時に致命的になる。レジンを積層している性質上、乾燥後に層に沿った方向へ収縮しようとする力が働く。そのため、薄い板状の構造などでは顕著に乾燥後に反ってしまう。なので、せっかく寸法精度が高いにも関わらず、造形モデルの形状次第では全く正しい形に作れないこともある。

 

それではこれらの欠点はFDM方式で克服できるのだろうか。これはある意味イエスであり、ある意味ノーである。FDM方式にはFDM方式なりの得手不得手があるからだ。しかし、それでもFDM方式はこれらの問題点についてはある程度解決してくれていることは間違いない。

 

FDM方式で造形したものは、少なくとも室温まで温度が下がれば溶融したプラスティックが完全に硬化するのでそれ以上の後処理は必要ない。だから、造形した物をビルドプレートから剥がせばそれで造形は完了だ。FDM方式にも後で触れる様に必ずしも後処理が必要ないわけではないが、それでも洗浄・乾燥・二次硬化・UVクリアコートという一晩から場合によっては二晩かかる光造形の後処理の手間に比べれば、はるかに短い時間で造形物が実際に利用出来る状態で手に入る。すぐに利用したいものを出力したい場合には圧倒的なスピード感である。(感がついているのには理由があるが)

 

次に造形サイズは光造形に比べて十分に大きい。一般的なRepRapクローンといわれるFDM方式3Dプリンタはだいたい20cm立法ぐらいの造形エリアをもっている。これなら光造形では造形エリアに収まらないようなモデルでも、相当でかいものを出力したいのでない限り十分に造形することができる。しかも安価かつ簡便に利用出来るPLA樹脂はジクロロメタンが主成分のアクリル用接着剤を隙間にたらせばあっというまに接着出来るので、もし複数の部品に分割した場合にもしっかりと接着することができる。これならよっぽどの事がない限り造形物のサイズで困ることはないだろう。

 

そして、最後に材質として使いやすい。もちろん強度を求めるならABS樹脂を使うべきであるが、ABS樹脂は高温で造形する必要があるため、一般的にはもっと低温で簡単に造形できるPLA樹脂を使うことが多い。ABSに比べて靭性に劣るといわれるPLA樹脂であるが、それでも光造形で用いるUVレジンに比べればはるかに強度は高い。靭性が足りないのであれば、要はたわまないように形状を設計すればいいのだ。ソリッドなブロック状に造形するか、補強用のリブを加えておけば、かなりの強度を発揮する。しかも一度溶融して再硬化した樹脂は十分に耐候性を発揮する。特に後処理をしなくても屋外で利用することも可能だ。用途に合わせた後処理を考えなくていいのはありがたい。また、PLA樹脂は造形後の収縮も小さいので板状や棒状の構造でも変形することなく造形することができることも大きな利点だろう。

 

と、光造形の欠点をことごとく解消したように見えるFDM方式だが、残念ながらFDM方式にもまた欠点はある。

 

一番の問題は、材料の管理に神経を使うことだ。FDM方式の材料として使われる樹脂のフィラメントは湿気に弱い。湿気を吸ってしまうと途端に造形がうまくいかなくなる。フィラメント内に取り込まれた水分が熱で溶融させる時にノズルの中で気化してしまうからだ。そのため、フィラメントをどうやって吸湿させないように保管するかを考えておかなければならない。実際、フィラメントを密閉したボックスにシリカゲルと一緒に入れ、小さく開けた穴からフィラメントを引っ張り出してプリンタに供給するなんてことが一般的だ。実際、我が家の3Dプリンタも購入して最初に作ったのがこのようなフィラメント保管ボックスだ。湿気対策を怠れば造形に影響が出てくる以上、常にフィラメントの乾燥状態を維持しなければならないのは、FDM方式の一番手間がかかるところだ。とはいえ、使うフィラメントの数だけ防湿ボックスを自作すれば後はシリカゲルを定期的に交換するだけだし、万が一吸湿してしまった場合もフィラメントを乾燥させる乾燥機も売っているので、それほど心配することではない。

 

次に、材料の性質に造形が大きく左右されることも問題だ。光造形の場合、検討が必要なパラメーターとしては露光時間だけだ。それもメーカー推奨のレジンを使っている限り、メーカーから指定された露光時間で造形すればほぼ失敗することはない。ところがFDM方式の場合、これが圧倒的なまでにたくさんの調整可能なパラメーターが存在する。そして、材料を変える度に、これらのパラメーターは材料に性質に合わせて適宜調整する必要がある。さらに、造形物の形状などによってもこれらのパラメーターを再調整しないときれいに出力できなかったりする。なので、プリンタの能力や材料の性質、造形したいモデルの形状に合わせたセッティングなどを熟知してそれに合わせた微調整がどれだけできるかが最終的な造形のきれいさに繋がる以上、蓄積しなければならないノウハウは圧倒的にFDM方式の方が多い。このトライ&エラーを許容出来る忍耐力が必要だ。また、材料の性質や、出力の条件によって最終的な造形物の寸法精度が大きく変わってしまうのも問題だ。そもそもノズルの穴のサイズで精度に限界があるFDM方式はLCDパネルの画素サイズで決まる光造形よりも寸法精度が低いが、それに加えてセッティングによっても寸法精度が左右されるので、正確なサイズで出力するのはかなり難しいと考えておいた方がいいだろう。最終的にはやすりで削って寸法を合わせることを前提に出力した方が手っ取り早いということもある。

 

そして、最大の問題が造形サイズだ。光造形の場合、造形に必要な時間はほぼ高さのパラメーターで決定される。どれだけ複雑な形状であろうとも、高さが同じ限り同じ時間で造形される。これは光造形が面を積層する方式だからだ。ところがFDM方式ではノズルから糸状に吐き出されるプラスティックで造形物を構成していく。つまり線を繋げていくことで造形される。だから複雑な形状になればなるほど造形に時間がかかる。ちょっと大きなものを作るとあっというまに10時間とか20時間とか時間がかかってしまう。光造形であれば造形ボリュームいっぱいの造形物でも半日程度で造形出来るが、FDM方式で造形ボリュームいっぱいの造形物を造ろうとしたものなら、それこそ3日ぐらいずっと運転しっぱなしにする必要がある。夜間に動かせないような環境ではこれは致命的だ。

 

そして、FDM方式の後処理にはFDM方式ならではの難しさもある。それはサポートの除去の難しさだ。FDM方式で作ったサポートも造形物本体と全く同じ硬い樹脂でできているので、これをきれいに引きはがすのはかなり難しい。大きなオーバーハング面をサポートで支えた場合はそれでもなんとか外せるが、問題はネジ穴のような小さな穴である。このような穴の中に形成されたサポートをきれいに除去するのは至難の業だ。結果、モデルを設計する時からどう設計すればサポートを除去しやすいかを考えて設計しなければ造形後に悲劇が待つことになる。

 

結局、光造形とFDM方式、どちらも一長一短、得手不得手があるということだ。だから、おそらく我が家ではこのような使い分けになるだろう。

 

寸法精度が必要なもの、比較的小さいサイズのもの、機械的な強度が必要とされないものは光造形方式。

 

サイズが大きいもの、機械的な負荷がかかるもの、耐候性が必要なもの、造形後にすぐに使用したいものはFDM方式。

 

とはいえ、FDM方式はまだまだ使い始めたばかり。ノウハウを十分に蓄積した光造形と違って、これからノウハウを蓄積すればまだまだ可能性は拡がるだろう。使いこなすのが難しい分だけ、うまく使えた時の楽しみは大きいはずである。

 

水洗いレジンで3Dプリンタのススメ

新型コロナの巣ごもり要請によって、3月末から5月末まで外出自粛を余儀なくされた。どうせ出かけられないのなら何か新しいことでも始めようと思ってたちょうどいいタイミングで前から欲しかった光造形3DプリンタがようやくAmazonに入荷されたので、自宅に3Dプリンタを導入することにした。これまでずっと躊躇してきたのは自宅で3Dプリンタを運用するといろいろと大変だろうという懸念があったのだが、ここ1,2年の3Dプリンタの進化でなんとかなりそうな感じになってきたのが最大の理由。しかし、運用し始めるといろいろとトラブルもあり、予想通りなかなか大変だったのだがそれもほぼほぼ克服することが出来たのでそのノウハウを書き残しておこうと思う。

 

まずは光造形3Dプリンタを選んだ理由。一般的には入門として最初に買う3Dプリンタには熱溶融積層(FDM)方式のものが主流だと思うのだが、知人にはFDM方式を勧めつつも自分では光造形を選んだ理由は、やはり騒音だ。FDM方式は基本的にXYZの3軸に移動出来るプリントヘッドとステージによって3次元的に好きな位置に熱で溶かしたプラスチックを置くことになる。当然モーターが3軸あってしかもそれが微細な制御でいったりきたりするわけだからモーターの稼働音や振動は馬鹿にならない。しかもFDM方式は造形物の体積が増えれば増えるほど造形時間も長くなり、ちょっとした造形でも徹夜で動かし続けないといけないということもままあるようだ。自宅内で夜通しモーター駆動による振動が階下に伝わり続けるとさすがに苦情も出るに違いない。しかし、最近のLCD方式光造形の場合は、積層する平面を一度に紫外線照射して形成するので、モーターとして駆動するのは造形ステージを上下させる1軸の駆動のみだ。それもゆっくりと上下させるだけなのでFDM方式のようにモーターが小刻みに反転することによる振動もほとんど起きない。さらに、光造形は造形時間が造形物の高さだけに依存する。最近の光造形3Dプリンタだと1cmあたりだいたい1時間程度なので、よっぽど大きなものでないかぎり数時間で造形が完了する。これなら昼間の時間だけでも十分に造形が終了するので安眠が妨げられることもない。

 

そして、もう一つ光造形3Dプリンタの導入に踏み切らせたものが、安価な水洗いレジンの登場だ。例えばELEGOO社の水洗いレジンだとAmazonで1kgが5000円で購入出来る。ちょっとした部品を光造形するのにかかるコストは100円程度だ。しかし、水洗いレジンの最大の利点は、アルコール洗浄による大量の廃液が生じないことだろう。これまでの光造形3Dプリンタで使う紫外線で硬化する樹脂は水に溶けないので、未硬化の樹脂を洗い落とすためにはイソプロピルアルコール(IPA)を使うのが基本だった。IPAそのものはそれほど高いものではないのだが、それでも造形物をきれいにするためには何度もIPAで洗う必要があるため、洗浄廃液がどんどん蓄積することになる。元化学系の大学を卒業した身としては、これの廃棄にはやはり気を遣うし、同時に洗浄のために可燃性のIPAを自宅内に大量にストックしておくのは防火の意味でもあまりうれしくない。しかし、水洗いレジンの場合にはいつでも水道からきれいな洗浄液が出てくるし、廃液を太陽光にさらして未硬化なレジンを完全に硬化させれば上澄みの水は安全に下水に流すことが出来る。洗浄液も廃液もどちらも溜め込む必要がないというのがなによりうれしい。

 

というわけでELEGOO MARS PROというLCD方式の光造形3DプリンタとELEGOO社純正の水洗いレジンを購入して、ちょっとしたものは3D CADで設計して3Dプリンタで印刷するという生活が始まった。いろいろと試行錯誤した上でようやく造形開始から後片づけまでの一通りのノウハウを確立した。造形をうまくやるためのノウハウはYouTube等で様々公開されているが、それ以外の意外と重要な後片づけなどのノウハウはなかなかないので、せっかくの機会だから一通り参考になるように書いておこうと思う。

 

事前準備として低アレルゲンながらも人体にも機械にもあまりいい影響がないレジンが不用意に拡散しないようにしている策を紹介する。まず、3Dプリンタ本体は27cm角の正方形のステンレス製の盆を購入して、その中に設置してある。これで万が一レジン漏れを起こしたとしても盆の中にレジンが溜まるので心配がない。また、造形ステージを取り外している時など、不用意にレジンが垂れることがあり、そんな時もステンレスの盆の中に垂れれば簡単に拭きとれるので助かっている。レジン漏れでもう一つ怖いのが漏れたレジンがLCDパネルの周囲から機械内部に入り込むことだが、これについてはマスキングテープで事前に塞いでおくという方法を取っている。マスキングテープの厚みによる影響が心配だが、造形ステージのZ軸ゼロ点補正をマスキングテープを貼った状態でやっているので、今のところ全く影響は見られていない。そして、3Dプリンタのそばには常に洗面器を用意しておき、造形後のステージを持って移動する時などは必ず洗面器で受けた状態で運ぶようにしている。油断した時に限ってレジンが垂れるので、常に油断しないでいることが大事。

 

ここからは造形を通した一連の手順で注意した方がいいことを書いておく。

 

造形の開始時は、造形ステージとレジンタンクが正しい位置にきっちりと固定されていることを確認し、USBメモリーから印刷データを読み込ませたら、後は造形に必要な量よりも余分にレジンをタンクに注ぐだけだ。データをスライサーで作成した時に造形に必要なレジンの重量が表示されるので、心配な時はレジンタンクを電子秤の上に載せた状態でレジンをタンクに注ぎ、必要な重量に最低でも+50g程度入れておくことにしている。空のレジンタンクの重量を事前に測っておいてメモしておくと、レジンの量が足りるか心配になった時にレジンごとタンクの総重量を測ることで引き算すればタンク内のレジン量を確認出来るのでオススメ。ELEGOO MARS PROのレジンタンクは546gだ。ここで大事なことはレジンを注ぎ終わったら、必ずレジンボトルの口周りに垂れたレジンをきっちりキッチンタオル等で拭きとっておくこと。これを拭きとらずに蓋をしめると蓋のネジ部分から垂れたレジンが押し出されて、ボトルの表面が垂れたレジンでねちゃねちゃになって後悔することになる。

 

さて、うまく造形するための様々なノウハウはたくさん公開されているのでここでは割愛するとして、造形後の後片づけのノウハウを記しておこう。

 

まず、造形が完了して造形ステージが一番上まで上がっていることを確認したら、造形ステージを斜めにしてレジンタンクの上に吊るしておく。ELEGOO MARS PROの場合、このための専用のプラスチック製のパーツがついてくるので楽なのだが、他の機種でも同じような主旨のパーツの3Dプリンタ用のデータが公開されているので、それをさっさと3Dプリンタで作っておくといい。レジンは粘度が高いので、余分なレジンが垂れ落ちるにはかなりの時間がかかる。最低でも30分、可能なら1時間ぐらいその状態で放置しておく。レジンなんかいくらでも買えるぜというお大尽はさっさと洗浄ステップに行ってしまえばいいのだが、この過程はレジンの回収だけでなく、造形ステージを洗浄するまでの間にレジンが垂れたり、大量の未硬化レジンが洗浄液に溶け出してすぐに洗浄液が汚くなってしまうのを防ぐ意味もあるので、お大尽でもやっておいたほうが後の処理が楽である。

 

造形ステージに造形物がついた状態で軽く水ですすいで余分なレジンを洗い落としたら、造形物をステージから剥がす必要がある。大抵の3Dプリンタには金属製のへらがついてくるが、はっきり言ってこれで剥がすのはきわめて難しいし、アルミでできている造形ステージの表面が簡単に傷ついてしまう。そこで役に立つのがニトムズ テープはがしカッターだ。これをステージの造形面にピッタリ沿うようにして前後に小刻みにスライドさせながら造形物の下に滑り込ませると、ステージを傷つけずに簡単に造形物を剥がすことが出来る。ラフトを使わずにステージ上に直接密着するように造形した場合はステージとがっちりひっついてヘラで剥がすのは至難の業だが、このカッターを使えば切断するように容易に造形物とステージの間に刃を割り込ませることができるので造形物自体にも傷をつけずに剥がすことができるはずだ。難点は柄や刃の固定部の強度がそれほど高くないので力を入れ過ぎると刃が取れてしまいやすいところだが、買い直してもそれほど高いものではないので消耗品だと思って使うといい。

 

造形物を剥がし終えたらステージの後片づけだ。水洗いレジンは水に溶けるとはいえ、粘度が非常に高いので水ですすいだだけでは簡単には落ちてくれない。おそらく顔料と分離した樹脂と思われる油のような何かがねっとりと表面に残ってしまう。ここで活躍するのが激落ちくんに代表されるメラミンフォームスポンジだ。これで擦れば、水だけできっちりとレジンを落とすことができる。ステージの造形面は造形物の貼り付きを良くするために細かい凹凸が着けられているのだが、この凹凸に残ったレジンもステージを傷つけずにきれいに落とすことができる。メラミンフォームステージは100均でも買えるので、大量に常備しておいてレジンが吸着して汚れたらどんどん捨てるつもりで使うとよい。

 

造形が完了したタンクには大量のレジンが余っている。これはペンキ用のストレーナーで濾して回収する。ペンキ用のストレーナーはペンキが流れやすいように開口部が大きく採られているので、漏斗などで受けないとこぼれて大惨事になる。回収する容器だが、ある程度3Dプリンタを運用すると当然使い切って空になったボトルが余るので、レジンの色ごとにボトルを一本、回収用のボトルにしておくといいだろう。空になった時にボトルの重量を測っておけば、回収したレジンを次に使う時にボトルの重量を測るだけで造形に必要な量が残っているか確認出来る。ELEGOOの500gのボトルは空だと70gだ。Nalgenの500mlボトルを使っている他のメーカーもほぼ同じ重さだろう。ストレーナーの上でレジンタンクからレジンを注ぎ込むが、当然粘度の高いレジンが大量にFEPフィルム上に残っている。そこで、角が丸められているプラスチック製の柔らかいヘラを使ってFEPフィルムを傷つけないようにレジンをかき集める。結構馬鹿にならない量がこれで追加で回収できるはずだ。本格的な人はレジンタンクを斜めに保持出来るスタンドを造って、最後の一滴までレジンを回収できるようにしているが、ストレーナーで濾し切れずに残る量などを考えればそこまでこだわる必要はないだろう。タンクから垂れ落ちてこない程度まで残ったレジンを回収したら、タンクを水洗いする。この時も活躍するのがメラミンフォームスポンジだ。軽くなでるだけでレジンがきれいに落ちるし、柔らかいのでタンクの隅々までぬぐい取ることができる。特にFEPフィルムとタンクの枠との間にはレジンが残りやすいので、ここは念入りにメラミンフォームスポンジの角などを使って擦るといいだろう。レジンを回収する時に垂れたレジンがタンクの外側にもついていることが多いので、必ず内側だけでなくタンクのあらゆる表面をメラミンフォームスポンジで擦るようにしよう。最後に水できれいにすすいだ後、FEPフィルムが傷つかないようにひっくり返した状態にして乾燥させる。何か縁にかませて少し片側が浮いた状態にしておいた方が乾燥は早いはずだ。

 

洗ったものが全部乾いたら、最後の後始末だ。どれだけ念入りにメラミンフォームスポンジで擦ったとしても、どうしてもほんの少し残ったレジンが乾いてFEPフィルム表面にこびりつく。乾いたレジンをフィルム表面から拭い去るには使い捨てのウェットティッシュタイプの液晶クリーナーが役に立つ。液晶クリーナーにもいろいろなものがあるが、乾いたレジンは水だけではなかなか落ちないので、アルコールと界面活性剤が両方入っているサンワサプライのCD-WT4KSという型番のものを使っている。液晶クリーナーを一枚取り出して、まずは本体のLCDの表面、次にタンクのFEPフィルムの液晶に接する側、そしてFEPフィルムのタンク内側、そして最後に造形ステージの表面を拭いたあと、すべてを本体の所定の位置にセットして次回のプリントに備えれば後始末は完了である。

 

以上、とかく造形物の取り扱いばかりにノウハウの公開が集中しがちな3Dプリンタ業界だが、3Dプリンタの運用の基本となる後片づけに集中してノウハウを公開してみたのだがいかがだろうか。光造形プリンタの運用はレジンを拭ったキッチンタオルのゴミや洗浄した廃液によってとかく汚くなりがちと言われるが、この基本的な後片づけの方法がルーチーン化すれば部屋を散らかすことなくいつでも万全の状態で光造形3Dプリンタを運用することができると思う。

Palmにまつわる携帯デバイスの思い出

新型コロナウィルスの蔓延で外出自粛を余儀なくされる中、新しく発売されたiPhone SEを購入した。新しいiPhone SEで必要なセットアップをしながら、ふと自分の携帯デバイス遍歴に思いを馳せる。思い起こせばもう20年近くも前に初めての携帯デバイスを購入したんだったっけ。それがPalm OSを搭載するPDAと呼ばれたデバイスとの出会いだった。せっかくだから、自分のPalmバイス遍歴を記憶を頼りに書き起こしておこう。

 

1台目 IBM WorkPad c3

 

当時、大学の研究室で博士課程の学生として実験していて、一番の悩みはボスの気まぐれだった。毎週、研究室全体のセミナーと、自分が所属する小さな研究グループでのディスカッション、そして論文の輪読会が絶対参加のミーティングとして行われていた。これらのミーティングは本来曜日が決まっていたのだが、ボスが自分の都合で頻繁に曜日を変更するのが悩みだった。大学に入って以来、自分のスケジュールは大学生協で購入した手帳を使って管理していたのだが、毎日どころか一日の間に何度も曜日が変更され、その度に手帳のスケジュール欄を書き換えているとあっという間に訂正だらけで書く場所がなくなってしまうのが常だった。しかし、曜日を間違えてミーティングをすっぽかそうものなら烈火のごとく怒り出すボスだったので、手帳よりも効率のいいスケジュール管理方法はないかと頭を悩ませていた時、ふと噂に聞いたのがPalmの存在だった。

 

当時、Macを開発するAppleが普及に力を入れていたのがNewtonと呼ばれる未来から来たようなデバイスだった。Newtonは持ち歩いて使う、個人の連絡先やスケジュールを管理してくれる夢のデバイスだった。付属のペンで手書きで入力するとデジタルな文字に変換されるシステムは非常に魅力的だったのだが、いかんせん、高いし重いし電池が持たないと、使いこなすにはなかなか骨の折れるデバイスだった。Newtonが夢の現実化に苦労している一方で、Newtonを見限ったMacユーザーの間で話題になっていたデバイスPalmだった。必要最小限に割り切った性能に絞ることで、軽くて電池が長持ちする。Newtonとは全く逆の発想のデバイスだった。いち早く飛びついた有志のユーザーによって日本語化され、連携して動作するPalm DesktopによってMacとデータを同期し、Mac上でもスケジュールや連絡先が管理できるのが魅力だった。しかし、自身で英語版のPalmを日本語化するのはハードルが高く、なかなか踏ん切りがつかないでいた。

 

ところがこの事態を一転させたのが、PalmからIBMへのOEM供給の開始だった。当時、サーバーから個人端末までのトータルソリューションの提供を目指していたIBMが自社のPCと連携して利用する個人データ管理デバイスとしてWorkPadという名前でPalm端末の販売を開始したのだ。このWorkPadは日本でも販売され、しかも日本市場に投入されるモデルは最初から日本語化されたOSを搭載し、しかもスタイラスで入力するエリアに最初から日本語変換に必要なボタンが配置されているといういたれりつくせりの日本語化仕様だった。そして、そこはかとなく流れてきた噂が、ソフトウェアの追加やパッチも一切必要なくPalmから配布されているMac版のPalm DesktopがWorkPadとデータの同期が可能で日本語も文字化けしないという話だった。そこでいてもたってもいられなくなって充電式のPalm VのOEM版であるWorkPad c3に飛びついた。ある意味ヒトバシラーな挑戦だったが、噂通り何の問題もなくMacとWorkPadの間で入力したデータが同期でき、無駄遣いに終わらなくてほっとしたことを覚えている。

 

独自の入力方式であるGraffitiも付属のゲームをやり込んで頑張って1週間で体に叩き込んだ。WorkPadの導入はすばらしかった。何しろ、毎日どころか一日何回も変更されるミーティングの曜日変更も、MacPalm Desktop上でスケジュールをドラッグして動かすだけで済むのだ。そしていつでもポケットからWokPadをとり出せば、スケジュールをすぐに確認出来る。かくして手帳とは完全におさらば、毎日、研究室から帰る直前にMacとWorkPadを同期して帰れば、翌日のミーティングのスケジュールをいつでも手元で確認出来る安心の研究室ライフの始まりだった。その後、帰宅した後にミーティングの曜日が変更され、それを知らなくてミーティングをすっぽかして怒鳴られるという理不尽な研究室ライフとなるとも知らずに。

 

2台目 Palm Palm Vx

 

翌年、劇的な変化が起きる。Palm社の日本参入である。IBMからのPalmバイスの売れ行きが好調だったため、WorkPadに搭載された日本語版Palm OSが本家Palmにフィードバックされ、Palm社自身が最初から日本語版Palm OSを導入したPalmバイスを日本で販売することになったのだ。Palm Vのメモリを増強したバージョンであるPalm VxはIBMからもWorkPad c3(50)の名前で発売されたが、公式にMac対応を謳う本家Palm社版はMacユーザーにとってはまさに念願のモデルだった。既にWorkPadにどっぷり嵌まってアプリをインストールしまくって慢性的なメモリー不足に悩まされており、メモリーが2MBから8MBに拡張されたPalm Vxはまさに待ち望んだパワーアップだった。それまで使っていたWorkPad c3を布教のために後輩に譲り、すぐさまPalm Vxに乗り換えた。当時、Palm社の日本参入を祝ったキャンペーンで5色セットのスタイラスを貰うことが出来たが、この5色スタイラスは結局一本も使わずじまいだった。

 

そして、このPalm Vxの購入と同時に、生まれて初めて携帯電話を契約した。その端末がNTT DoCoMoから発売されたNokia NM502iだ。当時のiモード端末としては異常なぐらい狭いモノクロ液晶という時代遅れと思われがちな端末だったが、どうしてもこの端末でなくてはならなかった理由が携帯で唯一IrDAに対応していることだった。当時の携帯はどの端末も赤外線通信機能が搭載されていたが、その全てがIrTAというアドレス帳などを端末間でやり取りするだけのIrDAに機能制限をした簡易的な通信機能だった。ところが、日本市場など全く分析せずに投入されたNokiaの端末はこの赤外線ポートに全く制限をかけず、通常のシリアルポートとして使用出来るというIrDAのフル機能をサポートしていたのだ。一方、Palmにも従来から赤外線通信機能があり、それによって同様にデータを端末間でワイヤレスで転送できるようになっていて名刺交換などに使われていたのだが、この赤外線ポートもIrDAのフル機能をサポートしていた。そのおかげで、PalmNM502iを組み合わせると、Palmから赤外線経由でNM502iをモデムとして使うことができ、Palmからのインターネット接続が可能になったのだ。そのおかげで、いつでもどこでも自分のメールボックスPalmから見ることが出来るようになった。その結果、いつでもどこでもメールによって仕事がねじこまれるという地獄の生活が誰よりも早く始まったのだけれど。

 

3台目 Palm Palm m505

 

Palm社の参入によってにわかに活気づいた日本のPDA市場だったが、それによって起こった最大の事件はSONYの参入であった。Palm OSをライセンスしたSONYが独自にPalm OSを拡張しまくったCLIEという端末を日本市場に投入してきたのだ。SONYによって独自に拡張されたCLIEの最大の特徴はカラー液晶を搭載した上位モデルの存在だった。Palm OSは内部的にはカラー情報を保持することができたものの、肝心の液晶がモノクロだったのでグレースケールの表示だった。それはそれで情報を見るにはシンプルで見やすかったしカラー液晶はバッテリーを消費するのでPalmの精神であるZen of Palmにはそぐわないものだったが、それでもカラーで表示されるCLIEの液晶は反射液晶の暗い画面でも輝いて見えた。しかし、Palmユーザーの多くがCLIEに浮気した中で、CLIEの独自アプリの大半がWindowsとしか連携出来ないことが気に入らず、CLIEを絶賛する声にも関わらずかたくなにVxを使い続けた。しかし、その我慢が報われる時が来る。Palmからの公式のカラー対応端末であるm505の発売だ。それまで指をくわえて見ていたカラフルな画面に大興奮。そして、公式にカラーがサポートされたことで一気にアプリもカラー対応が進む。まさにPalmの日本での全盛期であった。しかし、CLIEの最大の改革だった倍の解像度を持つハイレゾ液晶はまだこの時点では公式にはサポートされず、相変わらず低解像度な画面のままであった。

 

当時、自分のPalm環境で画期的だった出来事が二つあった。その一つが、Just SystemのPalm市場への参入である。WorkPad c3以降、正式に日本語変換機能が提供されていたとは言え、その変換効率はお世辞にもいいものとは言えなかった。英語版を日本語化して使用することを好む人たちの最大の理由が、公式の日本語変換機能の貧弱さだった。その点、英語版を日本語化すると自前の日本語変換FEPを導入することになるため、変換効率の高いPOBoxを好む人たちにとってはこちらの方が快適だったのだ。ところが、日本のPalm市場が拡がった結果、Just SystemがATOKPalmに移植して公式に発売したのだ。デスクトップ版のATOK程ではないものの、しっかりこなれたFEPが初めてPalmに搭乗したのだ。このATOK for Palmは日本語版にインストールすると、Graffitiエリア内の日本語変換ボタンを使って効率よく日本語入力ができ、日本語版が最強の日本語入力環境になったのだ。当時、Palmから発売されていた折り畳み式のキーボードを購入し、いつでもどこでもATOKで日本語が入力出来る環境を整えて活用した。

 

もう一つの出来事はBluetooth SDカードの導入である。Palm Vxの世代からPalmの背面にSDカードスロットが搭載され、内蔵メモリーの不足を外部メモリーで補うことが出来た。そのSDスロットがm505世代でSDIO規格にアップグレードされた。これによってSDカードスロットを介して拡張カードを搭載することが出来るようになったのだ。残念ながらSDIOによる拡張カードはほとんど発売されなかったが、発売された貴重なカードの中の一つがBluetooth SDカードである。当時、DoCoMoのネットワークはそれまでのPDCからより高速なFOMAへと移行が進んでいた。しかし、NM502i以降、IrDA対応の端末が全く発売されなかったため、渋々時代遅れのNM502iを使い続けていた。しかし、Bluetooth SDカードの購入で道が開けたのだ。富士通からF900iTというBluetooth対応のFOMA端末が発売され、Bluetooth SDカードとの組み合わせでそれまでのIrDAからBluetoothの接続へと切り替えることができたのだ。F900iTという端末はお世辞にもいい端末とは言えなかった。時代遅れのごつい二つ折りで見るからにダサい端末だった。しかもBluetoothで待ち受けをすることが出来ず、Bluetoothを使う時にはいちいち端末のメニューからBluetoothをオンにする必要があり、しばらく使用しないと勝手にBluetoothがオフになってしまう仕様だった。Bluetoothなんて誰が使うんだ?という今では考えられないぐらいの扱いだったのだ。実際、通信をしようと思ったら携帯をとりだして開いてメニューからBluetoothをオンにし、その後、m505のSDカードをBluetooth SDカードに入れ替えて初めて通信が開始できるという非常に手間のかかる手順が必要になり、それまで赤外線ポートを向かい合わせて接続するだけで通信出来たのとは大違いであった。しかし、一度通信を始めてしまえば携帯をポケットに戻してPalmだけを持って通信できるので、赤外線ポートがずれただけで接続出来なくなるそれまでとは段違いの快適さだった。未来を先取りしたような感覚だった。

 

4台目 Palm Tungsten T5

 

このころからPalm社に暗雲が立ちこめる。日本市場で独自に改良したSONYCLIEが席巻しすぎたため、保守的なデバイスであるPalmの売れ行きが思わしくなくなったのだ。本国アメリカでは、いよいよCLIEが拡張したハイレゾの仕組みをPalm OSに取り込んだ初の端末であるTungsten Tが発売されていた。Tungsten Tはハイレゾを取り込んだだけではなく、Graffitiエリアが必要ない時は隠れていて、入力したい時だけガッチャンコと下部をスライドさせるとそこにGraffitiエリアが出現するという厨二病的ギミックが最高にそそる端末だった。しかも、Tungsten TはBluetoothが内蔵された初の端末である。これでBluetooth SDカードをいちいち差し替える必要がなくなる、と喜んだものの、待てど暮せど日本語版の発売の話が出ない。本国ではさらにGSM携帯と融合してキーボードを搭載した通信特化型の端末なども発表されていたが、通信方式が違う日本では発売されるはずもなかった。しかし、メインラインの端末が日本語版で発売されない事態は異常である。その後、Tungsten Tはさらに進化し、CLIEが導入したバーチャルGraffitiエリアも取り込んだ。Graffitiエリアを液晶画面で表示し、入力が必要ない時には通常の液晶表示エリアとしても使えるという仕組みだ。T3はそれまでのTungsten Tのスライドギミックそのままにこれを導入したので、スライドして液晶が広くなってもそこがGraffitiエリアなのであんまり意味がなかったのだが、それでもGraffitiエリアを消すと広い画面になるのは画面の狭さが唯一の悩みだったPalmユーザーにとっては光明だったのだ。しかし、さすがにスライドギミックとの相性の悪さに気が付いたのか、次のTungsten T5ではスライドギミックが廃止され、最初からバーチャルGraffitiエリアも含めた縦長液晶の形式に落ち着いた。そして、この頃、とうとうPalm社の日本市場からの撤退が発表される。英語版の端末のサポートは引き続きアジア圏のセールスエリアで続けるものの、とうとう日本語版の端末は二度と発売されないことが確定したのだ。

 

ここでとうとう英語版のPalmを日本語化して使うことを余儀なくされる。既にPalmのない生活など考えられなかったので、秋葉原のイケショップにダッシュし、日本市場から消え去る前にTungsten T5を購入した。当時いくつかの日本語化の方法があり、どの日本語化ソフトウェアを使っていたのかはもはや覚えていないが、この時からずっと手放せないソフトウェアとなるのが先に紹介したATOK for Palmだ。このソフトウェアのおかげで英語版を日本語化した端末でもそれまでの日本語版端末と遜色の無い日本語入力が行えたのだ。ずっと時代遅れのm505を我慢して使っていた身にとっては、ハイレゾで広く明るくなった液晶とm505からは比べ物にならない潤沢なストレージ量はまさに夢の世界だった。この頃、日本のPalm市場を席巻してPalm社の撤退にまで追い込んだSONYCLIEも独自拡張が肥大化しすぎて迷走した結果あっさりと失速し、損切りの早いSONYはさっさとCLIEを終息させる。Palmを見限ってCLIEに流れたPalmユーザーは居場所を失いSHARPZAURUSなどに流れていく中で、自身は英語版Palmが使い物になる限りPalmを使い続けようと決心したのだった。

 

この頃、もう一つの大きな変化が自身の端末環境に起きた。当時、近いうちに海外に研究場所を移すことを決心し、携帯電話もDoCoMoの端末を捨て海外標準の3G端末に乗り換える必要が生じていた。海外製の3G端末は日本ではFOMAネットワークにしか接続出来ないが、既にFOMAネットワークは十分エリアが拡がり、PDCで繋ぐ必要はほとんどなくなっていた。そこで、日本にいる間も海外に出てからも使える3G端末を探していたところ、香港を拠点とする携帯ディーラーが怪しげな端末を調達したという噂を耳にする。それは、日本でもSoftbankから発売されていたNokia705NKという端末のグローバル版であるN73に日本語ファームウェアを入れたものだった。日本で発売されていた705NKは日本向けにカスタムされているため、SIMロックされていて海外で現地のSIMを挿すことが出来ない。一方、グローバル版のN73はSIMロックが解除されている変わりに日本語が全く使えない。しかし、N73の日本での発売のためにノキアが開発した日本語ファームウェアノキアのサイトでダウンロード出来る状態になっていたのだ。この日本語ファームウェアは試験的に作成されたものでSoftbank705NKのようなSoftbankネットワークで利用出来るサービス向けのアプリ等は入っていないのだが、それでもノキアの本気が伺えるのはちゃんとSoftbank版と同じATOKベースの日本語変換FEPが搭載されている。このファームウェアを携帯ディーラーの修理用インターフェースを用いてN73に上書きした端末という怪しげなものだ。実際に入手した端末は外装はSoftbank版の705NKで基板だけがグローバル版のN73に入れ替わっているという代物であったが、それでも謳い文句どおり、ネイティブなN73でありながらメニューなども大半がきっちりと日本語化されているというまさに求めていたものだった。後にも先にもこの機種以外でノキアが自社で日本語ファームウェアを公開したものは存在しないという貴重な端末である。この端末にFOMASIMカードを挿していたものだから、誰もがSoftbankユーザーだと誤解してしまって非常に困った。そこで、わざわざ修理用のN73のフェイスパネルを輸入してSoftbankロゴの入っていない状態に改造までした。このN73はSymbian S60というOSを搭載しており、Softbank705NKと違って世界中で開発されているSymbian S60用アプリを自由にインストールすることができた。当時、NokiaはこのSymbian S60搭載の携帯電話を真にスマートな電話という意味でスマートホンと呼んでいた。まさにこの端末で自分はスマホデビューしたのである。

 

5台目 Palm Palm T|X

 

海外の研究所に研究場所を移したものの、自身の使うデバイスが全部英語でしか使えないというのでは甚だ居心地が悪い。しかし、日本語化したN73と日本語化したPalm T5によって日本にいる時と変わらない環境で研究ができた。しかし、新しいデバイスへの欲求は押さえられないもの。Tungstenシリーズの新しいモデルが出ると聞いていてもたってもいられず販売店へと直行した。日本ではもはやイケショップ辺りでしかPalmは手に入らなくなっていたが、海外ではまだ普通にPalmはショップで手に入る端末だった。発表された端末はTungsten T5そっくりのシェイプながらTungstenという名称は消え、T|Xという名称になっていた。おそらくTungsten XとなるはずだったものがTungstenブランドを捨てることになってT|Xになってしまったのだろう。T5からストレージが少し縮小されたことに多少の躊躇いはあったが、もともとコンパクトで効率のいいPalmアプリではT5の膨大なストレージを使い切ることもなかったので、バッテリーが消耗して心許なくなっていたT5からT|Xへの乗り換えを決意した。ちなみに、T5はその後、補修用のバッテリーを入手して自分でハンダ付けして交換して延命させたのだが、それは別の話。T5と実質的にほとんど変わらないように見えたT|Xであったが、最大の変化はWiFiの標準搭載だった。それまでもSDIOカードでWiFiカードが発売されていて、当然、購入して必要とあればWiFiも利用出来るようにしてあった。しかし、BluetoothによるシームレスなT5からのN73を経由したネットワークが便利すぎて、いちいちWiFiカードを挿してネットワークに繋ぐのが煩わしかった。まるでm505で我慢していた時代に戻るような感覚だったからだ。しかし、T|XでWiFiが内蔵されたため、研究所内のどこででもT|Xさえあればネットワークが使えるようになった。おかげでお茶をしながら論文を探したりなど、自分のデスクに張り付かなくても研究ができて重宝した。しかし、このT|Xが購入した最後のPalm端末となった。Palm社はとうとう倒産し、資産を全て売却する。これによって新しいPalm端末が販売されるという希望は完全に打ち砕かれたのだ。

 

この当時、日本で入手して海外に持ち込んだ怪しいN73も長く使って時代遅れになり、新しい携帯が欲しくなってきた。ここで思い出したのはPalm全盛期に一部のマニアに根強い人気のあった端末がPsion Series 5である。このPsionは開くとせり出してくるキーボードのデザインが美しいPDAであった。このPsion端末はNokiaSymbian OSを搭載しておりPalmと同様にユーザーが開発したアプリを自由にインストールできた。このPsion端末やNokiaSymbian OS端末はPalmと人気を二分するPDAだったのだ。残念ながらPalmと違ってPsionはその後伸びることなく消滅するが、PsionSymbian OSの根強いファンになった人たちはNokiaから発売されていた様々なSymbian OS端末を日本語化して使っていた。そのNokiaにはCommunicatorというキーボードがついた大型液晶の携帯モデルのシリーズがあり、その姿はPsionほど優雅ではないもののまさにPsionのように横長画面でキーボードが付いたミニノートパソコンのように使える端末だったのだ。そのCommunicatorの精神を引き継いだ端末がN97だ。スライドすると自動でせり上がって見やすい角度に固定される大型液晶画面とその下から現れるミニキーボード。WiFiBluetoothのようなモダンな通信も標準搭載し、まさに万能通信端末だった。そして、最も後押ししたのが、OS標準でアドレス帳やカレンダーを搭載し始めたMacが様々な携帯デバイスとデータを同期する仕組みを搭載したことだった。Palmもこの同期の仕組みにMissing Syncというサードパーティーアプリによって乗っかることが出来たのだが、全世界にユーザーがいるSymbian OSもまたこの同期機能を使ってデータを同期することができた。これによって、Mac上で管理するアドレス帳やカレンダーをPalm T|XにもN97にも同期できるようになったのだ。この事が後押しをしてN73から日本語化したN97への乗り換えを決意させた。しかし、このことがPalm T|Xの重要性を低下させる。ことネットワークに関することであればPalmを使うよりもN97を使った方が楽になってしまったのだ。キーボードがいつでも使えるとだんだんGraffitiでしか入力出来ないT|Xが億劫になってくる。次第にPalmがメインデバイスから閲覧デバイスへと自身の生活の中での役割が変化していってしまった。

 

そして、Palmの役割に終止符を打ったのがiPod touchである。最初はテンキーが液晶に表示される変な携帯電話でしかなかったiPhoneが後にアプリを自由にインストール出来るようになり、そしてそのデータを管理するためにMacと同期できるようになった。そして、そこから携帯の通信機能を省いた端末としてiPod touchが搭乗する。iPod touchも最初はiPhoneのような画面をもったiPodでしかなかったが、iPhoneと同様にアプリをインストールできるようになり、そしてMacとデータの同期が出来るようになる。その第三世代になるとWiFiBluetoothも搭載していて自由に通信ができ、これまでPalmで管理してきたアドレス帳、カレンダー,メモなどの全ての機能が標準搭載され、Mac側にもそれらと同期するアプリが用意され、Palm Desktopで管理していたデータを全てMac標準搭載のアプリで扱えるようになったのだ。ここに至ってPalmでしか出来なかったことが全てiPod touchで出来るようになった。もはや将来新しい端末の出ることのないPalmに、それを完全にリプレースすることが出来るiPod touchが登場したのだ。ここにきて、ついに自身のPalmライフを完全に終焉させるタイミングが到来する。iPod touch第三世代発売と同時にダッシュで研究をさぼってアップルストアに行って購入、それまでPalm Desktopで管理していたデータをこつこつ手作業で全てiPod touchに移行し、とうとうPalmが完全に必要なくなる時が訪れた。

 

iPod touchの導入は日本語版Palmの導入と同じぐらい劇的に自身の環境を変化させた。やっぱりネイティブで日本語版のデバイスの方が圧倒的に使いやすいのだ。アップルのデバイスは最初から日本語対応しているため、iPod touchも言語で日本語を選ぶだけで隅々まで日本語で使えるようになる。そうなると、それまでPalm T|Xのお株を奪ってきたN97があっさりとただの通信デバイスに成り下がる。日本語化によって無理矢理日本語が使えるようにしたN97と比べて、メールやインターネットでも圧倒的にiPod touchの方が使っていて楽なのだ。そうなるとだんだん通信と端末が分離していることが億劫になってくる。しかし、当時のiPhoneはキャリアからSIMロックされた端末しか購入出来なかったため、日本と海外を行き来する自分には日本のSIMを挿しても使えない海外版のiPhoneは購入する意味がなかったのだ。しかし、iPhone4でその環境ががらりと変わる。とうとうアップル自身がアップルストアSIMロックがかかっていないiPhoneを発売することを発表したのだ。その日から近所のアップルストアに毎日のように在庫の問い合わせをしていたが、あまりの人気で何度問い合わせても売り切れて在庫がない。そんな時に、地方の大学に学会に行くチャンスがあり、人口の少ない地方都市のアップルストアなら在庫があるかもしれないと学会をこっそりと抜け出してアップルストアに行って、やっと手に入れることができた。iPhone4に乗り換えることで、それまでずっと通信と端末が分離していた環境から、やっと通信と端末が一体化した環境に移行することができた。今の誰もが当たり前だと思っているスマートホンの環境、そこに辿り着くまでにいやはや様々な端末を経たものである。

 

そんなことを考えているうちにiPhone SEへのデータの移行が完了した。Palmから始めたPDAや通信環境は、今やこんなに高度なデバイスへと変化した。しかし、これで十分だと思われたPalmがいつの間にか物足りない端末へとなってしまい、消えて行ったように、いずれはiPhoneではもうダメだという時代が来るのだろう。そんな時、自分が選ぶ新しい端末はどんなものになっているのだろうか?

iPS細胞バンクの致命的な問題点

iPS細胞バンクから提供されたiPS細胞が、動物実験で移植した先で癌化したというニュースが世間を賑わせた。

 

iPS細胞による再生医療の基本は、患者さんの細胞からiPS細胞を樹立して、そのiPS細胞から患者さんの病気に見合った臓器を形成し、その臓器を移植して戻すことによって治療する手法である。この新しい技術が諸手で歓迎された最大の理由は、移植に常に伴う深刻な悩みである拒絶反応の心配がないことである。

 

我々の体は全ての細胞がある一つのタイプの白血球型抗原(HLA)と呼ばれるものを持っている。これは、一群の細胞表面に提示されるタンパク質のセットである。それぞれのタンパク質は細胞の染色体上に遺伝子が存在し、その遺伝子それぞれが人によって微妙に異なる配列を持っており、その種類は何十種類に及ぶことが知られている。複数の遺伝子で、それぞれに何十種類かの違う組み合わせになるので、その全ての組み合わせのパターンは何万通りにも及ぶ。このHLAのパターンが、個々人を識別するタグとなる。免疫細胞はこのタグが一致する細胞を自身の細胞と認識する。もし、HLAを構成するタンパク質の一つでも異なると、免疫細胞はそこを認識し、異物として攻撃して排除する。

 

臓器移植にはこの免疫機能が常に大きな難関となる。移植する臓器が移植される人と異なるHLAを持っていると、免疫細胞が異物と認識してせっかく移植した臓器を攻撃して壊してしまうからだ。これが拒絶反応だ。そのため、臓器を移植するためには移植する臓器を提供する人と移植される人の間でHLAが一致することが必要となる。その確率はかなり小さいので、移植を待つ人は自身のHLAと一致する臓器が提供されるまで何年も辛抱強く待たなければならない。

 

そこに登場したiPS細胞の技術はこの問題に新しい光明をもたらした。iPS細胞は少量の体の細胞をとりだして、それらをいったん初期化することによって再び様々な臓器に生まれ変わらせることを可能とする技術だ。もしこのiPS細胞を用いて移植に必要な臓器を作ることができたならば、もともと細胞をとり出した人と全く同じHLAを持っているので、移植において免疫細胞による拒絶反応は原理的に起きないことになる。現状でiPS細胞によって再び作ることが出来る臓器の種類は極めて限られているが、将来技術が進歩して様々な臓器を作ることが出来るようになれば、移植における最大の問題が一気に解消することが期待される。

 

ところが、iPS細胞が実際に医療に応用されるには、もう一つ大きな問題がある。それは、iPS細胞を樹立するためのコストである。一人の患者から細胞をとりだしてiPS細胞を樹立するためには、現状で1千万円程度のコストがかかると言われている。もし、一人一人の患者さんにこの技術で治療を行うとすれば、患者それぞれにこれだけのコストをかける必要が生じる。これは、とてもじゃないが保険制度でまかなえる額ではない。そこで考え出された方策がiPS細胞バンクだ。

 

実はHLAは必ずしも完全に一致しなければ異物と認識されるわけではない。HLAを構成するタンパク質の中には、複数のHLAの型と同一だと誤認識されるタンパク質が存在することが分かってきたのだ。このようなルーズに認識される特別な型のHLAを持っている人の細胞は、厳密な型を持っている人に比べてはるかに多い人数の人とHLAが同一と認識され、移植に適合するのだ。そして、このようなルーズなHLA型を持った細胞を丹念に集めれば、およそ140種類の細胞を集めることで適合する日本人の割合は9割にも上ると推測された。それまで、移植するための臓器を作るためのiPS細胞は患者さん自身から作るしかないと考えられていたのが、あらかじめiPS細胞バンクに集めておいた細胞の中から患者さんと同一と誤認識されるHLA型を持つ細胞を選び出し、その細胞から移植臓器を作成して治療に用いることができる可能性が出てきたのだ。しかし、実際にこれを治療に使うためにはまずは日本人の大半をカバーできるだけのルーズなHLA型をもつ細胞を集めなければならない。そこで、iPS細胞による治療技術の確立と並行して、このiPS細胞バンクが先行して設立され、将来iPS細胞による移植が可能になった時のために細胞を集め始めることが決まったのだ。そうして、このバンクは多額の資金が投入される巨大事業として始まった。

 

今回ニュースで問題になったのは、この先行して始まったiPS細胞バンクから提供された実験用のiPS細胞が複数の動物実験で移植後に腫瘍になってしまったという問題だ。これはiPS細胞バンクの細胞が適切に品質管理されていないことを示唆する。iPS細胞樹立時にあやまって正しくiPS細胞にならなかった細胞が混入した可能性と、iPS細胞樹立後に提供するために培養して細胞の数を増やす段階で細胞に腫瘍になりやすい変化が起きてしまった可能性が考えられるが、どちらであったとしてもiPS細胞樹立から提供にいたるまでの品質保証が十分でないことを意味する。そのような状態で保存された細胞は治療には使うことが出来ないので、せっかく先行して細胞を収集してもいざ治療技術が確立した時に安全に提供できるのかという疑問が投げ掛けられたのだ。

 

しかし、細胞バンクには品質管理の問題は付き物だ。かつて、ATCC(American Type Culture Collection)という世界最大の細胞バンクでも品質管理の問題が生じたことがある。ATCCは細胞を用いた研究の黎明期から研究者から預託された細胞を管理・培養し、必要とする研究者に分与を行ってきた機関だ。ある時、このバンクから分与された細胞がリクエストした細胞と異なるのではないか?という疑問がよせられた。特殊な細胞をリクエストしたはずなのに、届いた細胞はどう見てもその種類の細胞とは思えないというのだ。よくよく調べると届いた細胞はHeLa細胞と呼ばれる癌細胞由来の一般的に実験に広く用いられている細胞であった。調査の結果、この細胞のすり替わりは通常の細胞を培養して増やす過程で起きていたことが判明した。増殖が速い細胞が混入すると、いつの間にか培養している細胞が全部HeLa細胞に置き換わってしまうのだ。そして、せっかく収集したATCCの細胞株の大多数がいつの間にかHeLa細胞が混入してしまっていたことが明らかとなったのだ。

 

これは、当時のまだ未熟な細胞培養技術では防ぎようがないことであった。この事実が判明した後、それまでの細胞培養の手法の問題点が徹底的に洗い出され、その結果、培養している細胞に他の細胞が混入しないための基本的な細胞培養の技術がようやく確立したのだ。iPS細胞バンクもまたこれと同じ試練を受けているに過ぎない。iPS細胞という新しい種類の細胞技術が適切に品質管理出来るようになるためには、実際にバンクを運用して問題点を洗い出すしか方法がないのだ。iPS細胞バンクの役目は、将来の治療にむけてiPS細胞を管理し、分与するだけに留まらず、このバンクという資産を適切に運用していくためのノウハウを確立していくことも大きな役目であることを忘れてはいけない。

 

しかし、iPS細胞バンクの本当の問題点は、iPS細胞を樹立、維持、分与していくための品質管理がまだ確立していないということではない。そんな問題はきちんとノウハウを積み上げていけばいずれ解消するものなのだから。本当の問題点は、iPS細胞自身のゲノムにある。

 

人が癌を患う可能性はその人自身の持つゲノムに大きく依存することが分かっている。癌細胞は自身の持つ正常な細胞の遺伝子に異常が起きて変化したものである。遺伝子に異常が起きて癌になる確立は、その遺伝子そのものに大きく依存する。人の遺伝子は同じ遺伝子でも人によって微妙な違いがあり、この違いのために小さな変化でも異常な状態になりやすい配列もあれば、大きな変化が起きないと異常にならない丈夫な配列も存在する。そして、癌が生じる部位によっても、どの遺伝子に変化が起きた場合に癌になりやすいかが異なる。そのため、それぞれの人がそれぞれに固有なゲノムをもっているために、人によってどの癌になるリスクが高いかは異なることとなる。よく知られている例をあげると、BRCA1という遺伝子に変異が起きると乳がんになりやすいことが知られており、この変異が起きやすい遺伝子を持った家系の人は乳がんになるリスクが高い。

 

このような知見から、ある程度、人のゲノムを調べることによってその人が特定の癌になりやすいリスクを持っているかを分析することが出来る。既知の変異を受けやすい配列を持っているかどうかと、そのような変異を持っている人がどれぐらい統計的に癌になったかを結びつけることで癌のリスクを予測するのだ。しかし、明らかにリスクが高いと知られている変異を持っている人が癌になるリスクが高いと予測することは出来ても、その変異を持っていないからその癌にならないと予測することは出来ない。なぜなら、未だ全ての遺伝子と癌のリスクとの関係が網羅的に調べられた訳ではないからだ。人の膨大な遺伝子の微妙な差異と癌のリスクを結びつけることは統計的には可能ではある。しかし、特定の癌のリスクが高い共通した配列を見つけ出すために必要なデータの量に比べ、その配列を持たない人の癌のリスクが低いことを実証するために必要な癌と遺伝子の関係のデータは圧倒的に多く、それを行うのは現実的ではない。今の分析技術では、ゲノムを分析して、そのゲノムを持つ人が癌になりにくいことを保証することは出来ないのだ。

 

そして、これがiPS細胞バンクの最大の問題である。iPS細胞バンクは多くの人に移植が可能なHLA型を持つ細胞を収集する。そのiPS細胞のゲノムを調べ、もし既知の特定の癌になりやすい配列を持っていれば、それは排除されるだろう。しかし、そのような配列を持っていないからといって、そのiPS細胞が癌になる潜在的なリスクを評価することは不可能である。もし、iPS細胞の元となる細胞を提供した人のゲノム配列が未知の潜在的な特定の癌になりやすいリスクを持っていたとすれば、そこから作られたiPS細胞を移植した時にその癌になるリスクを抱えることとなる。しかも、恐ろしいことに、癌になるのはiPS細胞から作り出した臓器とそのiPS細胞が持つ潜在的な癌のリスクとが一致したときにリスクが上昇する。そのリスクが顕在化するのは、iPS細胞による治療が普及し、多くの人に様々な臓器が移植された後、長い期間が経過した後に特定の臓器を移植された人に癌が発生する割合が上昇するという分かりにくい形で起きるのだ。しかし、iPS細胞による移植を受ける人はそのリスクをあらかじめ知ることは出来ない。iPS細胞による治療例が膨大な数に上り、その中で癌が起きた事例を大量に集めて統計的に分析して始めて、そのiPS細胞株に癌になるリスクがあったことが明らかになるのだ。長い目で見ればそのリスクは明らかになることが保証されているが、患者の側からこの治療を見ると、自分が適合したHLA型のiPS細胞ストックに潜在的リスクがあれば癌になるし、なければ癌にならないで済むという予測不可能なギャンブルなのだ。将来の安全な治療のために人体実験を受けているようなものだ。

 

この心配は自身の細胞からiPS細胞株を樹立して移植する治療では全く生じない。なぜなら、そのiPS細胞が持っている潜在的な癌のリスクは、もともと自身の細胞が持っている潜在的な癌のリスクと一致するからだ。iPS細胞による再生医療によってその患者が持つ癌のリスクが変動することはない。一方、iPS細胞ストックを用いた移植治療ではiPS細胞樹立のコストがかからない代償として、癌になるリスクが高いか低いかは自分が提供を受けるiPS細胞次第で、しかもそのリスクを事前に知ることは出来ない。運が悪ければiPS細胞による治療によって癌になるリスクが上昇するし、運が良ければそのリスクは低減する。治療によって病気が治るか治らないかのギャンブルではなく、治療によって癌になりやすくなるかならないかのギャンブルを低コストの治療の代償として患者が行うことが求められるのだ。

 

保険による医療の提供は、万人に平等な治療機会を提供することが目的だ。治療が有効かどうかはどうしても個人個人で異なるのは仕方がない。しかし、治療とは別に将来の生存のリスクが変化する可能性がある治療は、果たして保険によって莫大なコストを負担して提供すべき治療だろうか?治療によって寿命が伸びるか縮むか分からない治療法が保険によって提供されるべき治療だとはどうしても思えないのだ。そのような治療法を確立するために税金によって莫大な投資が先行して行われることに大きな疑問を感じる。同じ投資をiPS細胞バンクのためではなく、もっと低コストにiPS細胞を樹立する技術の確立のために使えば、未知の爆弾を抱えた治療法ではなく自身の細胞からiPS細胞を樹立した再生治療が低コストで提供できるようになるのではないだろうか?今の方針でiPS細胞バンクが強引に進められれば、金持ちだけが癌になるリスクが上昇する心配のない自身のiPS細胞を使った治療を受けることができ、貧乏人は癌になるかもしれない爆弾を抱えた治療に甘んじるしかないというディストピアな未来が国民の血税によってつくられることになりはしないかと心配である。

 

選手レンタル制度のご提案

今年も高校野球の暑い夏が終わる。高校野球と言えば、過酷な連続の試合スケジュールで疲れ切った球児達が終盤になるとミスをして予想外の展開を見せるのが醍醐味というものだ。そして、この感動ストーリーに誤魔化されて何ら議論が進まないまま先送りされる問題、それが投球数問題だ。折りしも、高校野球が行われているさなかにリトル・リーグで若年投手のひじの故障の多さが問題になって本格的に投球数制限が導入されるとの話が進んでおり、それと比べて何年も議論があるのに全く結論が出ない高校野球連盟の動きの遅さには甚だ遺憾と言わざるを得ない。

 

どうして医学者も当事者であるスポーツ選手の多くも投球数制限の必要性を訴えているのに、高校野球で投球数制限の導入が進まないのだろうか?某日曜日午前のワイドショー番組のご老体のようなスポーツ根性論にしがみつく人たちは問題外として、やはり大きな問題はこの投球数制限の導入が高校野球の美徳の一つである全ての高校が等しく参加する権利を持つという平等の理念と実質的に相容れないからであろう。甲子園に出場する強豪校の多くがベンチに入れない野球部員が100人以上も出てスタンドで応援に回るような学校ばかりの昨今であるが、地方大会を見れば部員を9人揃えるのがやっとという様な学校でもちゃんと出場出来る。我が母校も進学校で体育会系のクラブはお世辞にも強いとは言えない学校ではあるが、ちゃんと毎年野球部が地方大会に出場している。とにかくきちんと試合が成立するだけの野球部員さえ揃えることが出来れば等しく出場する権利があるのが高校野球の美徳なのだ。

 

ところが、投球数の制限はこれに真っ向から水を差す。概ね投手の連続して投げる投球数は100球が限度で、100球投げた後は十分な休養をとることが望ましいとされるが、甲子園で決勝まで進むような学校だと甲子園の期間だけでも数百球の投球数となるのがざらである。なので、100球制限が導入されると投手を5,6人ベンチ入りさせるだけの人材がいないと出場出来ないことになる。もちろん、9人しか選手がいないチームであっても、選手全員に投手の役割を回せば試合は成立させることが出来るが、投手というのは専門的なポジションであり、投手としてみっちりとトレーニングしてこないと試合では通用しない。従って、投手を十分な人数集める事が出来ない学校は、100球制限が導入されると地方大会でも早々に交代投手がいなくなって、まともに試合できないことになってしまう。それはすなわち、どんな学校でも甲子園に出場出来る可能性があるという平等の幻想の崩壊である。

 

まあ、なんだ、そもそも平等なんて幻想なんだよ。甲子園を見れば、出場してる学校はどこも野球部員が100人を超える学校だ。みんな甲子園に出たいから強豪校に集まり、いつの間にか強豪校の中でレギュラー取れないよりはと地方にわざわざ移住してレギュラーを狙う高校生まで出てくるようないびつな状態だ。弱小野球部がなんとか9人部員を集めて頑張って高校野球を目指す、なんてのは漫画の中の世界だ。そんな学校が甲子園に出るには、偶然天才的な投手がその学校に入学し、その投手がひじを壊さずに全ての試合を投げ切るしかない。だから、完全に全てが平等であるべきだ、なんて幻想は捨てよう。ルールを工夫して、高校野球の醍醐味を壊さずに、そして、平等であるという条件をあまり壊さずに、なんとか投球数制限を導入してもどんな学校でも試合を続けるようなシステムを作り出そう。

 

そこで、僕は選手レンタル制度の導入を提案する。仕組みは簡単だ。地方大会で対戦して勝ったチームは、負けたチームから一人選手をレンタルすることが出来るという仕組みだ。もし、試合に勝てば相手から選手をレンタルすることができるならば、自チームの投手が十分いなくてもとにかく目の前の試合を全力で勝つことが出来れば可能性が開ける。投手が足りなくて投球数制限下で十分なローテーションが組めないような弱小チームでも、勝ち進んで相手チームから投手を次々とレンタルして補強すればローテーションが組めるようになる。レンタルされる側の選手にもメリットはある。トーナメント制で戦う高校野球は、どこかの時点で負けるとそこでシーズンは終わりだ。だが、相手チームからレンタルの要望があれば、その選手は続けて活躍する機会が与えられるのだ。もし、そうやってレンタルされた相手のチームで甲子園に出ることが出来れば、そこで活躍してプロ入りというのも夢ではない。借りる側にも貸す側にも大きなメリットがあるのがこのレンタル制度だ。

 

もちろん、いくつかの条件は必要であろう。まず、レンタルで借りる選手の枠は最初からベンチに空きとして用意しておかなければならない。これは、自校の野球部員だけで十分にベンチ入りする選手を用意出来る学校が、相手チームの有力選手をレンタルしてどんどん有利になるのを防ぐために必要だろう。地方大会の対戦校が決まる前に何人の選手をレンタルで補強するかを考えてベンチに空きを作っておくことを義務づければ、レンタルに備えてベンチに空きを作るかそれともレンタルを期待せずに自校選手で埋めておくかも一つの戦略になる。次に、レンタルした選手の意思を尊重することを義務づける。レンタルした選手は、当の選手が希望する限り常にベンチに加えなければならない。そして、選手にはいつでも自由にベンチ入りを拒否する権利を与え、拒否したとしてもその選手で埋めたベンチの空きを他の選手のレンタルで埋めることはできない。そうすれば、レンタルされた選手をレンタルしたチームが横暴に扱うことは限りなく少なくなるだろう。あくまでもレンタルをした選手を尊重してチームの一員としてわけへだてなく起用しなければレンタルの利点を活用できないようにレンタルしたチーム側を縛っておくのだ。そして、大事なのは投球数制限をきちんと守って投手の故障を防ぐことだ。だから、熱戦を繰り広げた対戦相手から投げ切った投手をレンタルしたとしてもすぐに次の試合では活用出来ないことになり、戦略的にレンタル選手を選ぶという面白みにも繋がって行く。

 

このレンタル制度があれば、野球部員の足りない学校でも試合に勝てば勝つほど試合を継続するために必要な選手を補強でき、強豪校は今のまま自前の十分な選手層を活用できる。選手にも活躍の機会を増やし、それによって選手のアピールチャンスが増えればプロ入りする人材も増えるだろう。レンタルされた選手がいる学校の関係者は当然レンタル先の学校を応援するだろうから、高校野球を応援する人たちの数も増やすことが出来、その結果、甲子園の入場料の収入も増えて高校野球の運営にもプラスになるだろう。誰一人損する人のいないこのレンタル制度、球児の健康も守れて一石二鳥だと思うのだがいかがだろう?

典型的な嘘つきの二つの形

吉本興業所属のお笑い芸人が詐欺集団に営業をして謝礼を受け取っていた問題で、解雇された芸人の謝罪会見が行われ、その場で暴露された経緯のためにその後、吉本興業の社長が謝罪会見に追い込まれた。この経緯についてはいろいろ思うところもあるけれど、このたった数日の間に行われた二つの会見がそれぞれに典型的な嘘つきの形を示しているのが非常に興味深かった。

 

一つの典型的な嘘つきの形は、お笑い芸人の側が謝罪会見で話した、嘘だと自分が認めるまでの一連の流れである。

 

この件は、まず最初にお笑い芸人が週刊誌の取材に対して金銭の授受はないと断言したことから始まる。そしてそう断言した根拠について、そんな100万円も貰える営業なんかあるわけないという思い込みが原因だったと述べる。次に、仲介者に対して、出たのはお車代ぐらいやろ?と確認して、仲介者からの同意を得ていると述べる。その後、謝礼を芸人を集めた忘年会の費用として仲介者に充当させたから、自分は受け取っていないと認識していたという。しかし、もう一人の金銭を受領した芸人から「忘年会のお釣りをもらってましたやん」と指摘されそこで初めて自分がお金を受け取っていたという認識にいたったという。

 

嘘をつく人の一つの典型的な例は、最初についた嘘を嘘でないと主張する為に、最初の嘘が嘘でないという証拠となるよう別の嘘を連鎖的についていくというものである。この件は非常に分かりやすい。上記の経緯の説明、最初の文にかかれた内容が最初の嘘であるが、次の文はそれを正当化するための嘘である。面白いぐらい、次の文、次の文と前の文を正当化するための都合のよいストーリーを構築するための嘘が連鎖していく。しかし、最終的には嘘の連鎖に破綻が起き、結果として最初の文まで遡って嘘であることが分かるのである。このような嘘の連鎖は嘘をつくのが当たり前になっている人によく見られる。言った事の真偽を疑われた時に、それを真実であると主張する為の嘘を咄嗟につくのである。その嘘が疑われた時には当然、それをごまかす為の嘘を平気でついてしまうので、嘘が次々と連鎖する状態になる。今回の件は、他の芸人が正直に受領したことを認めた事がきっかけになって嘘の連鎖が早々に破綻したからよいが、日常でこのような嘘の連鎖を行われると、一つの嘘の事実検証をしている間に次の嘘をつかれることになり、嘘をつかれた側は無限に連鎖する嘘の検証に際限なく労力を奪われることになるのである。

 

もう一つの典型的な嘘つきの形は、吉本興業の社長の会見で話した社長の側からの事実認識の説明である。

 

芸人側の記者会見では謝罪を希望する芸人サイドに対し、それを妨害するパワハラが行われたと暴露された。それを受けた批判の高まりを受け、謝罪会見に追い込まれた社長は、一連の言動は場を和ませる為の冗談で、芸人のことを大切に思っているのだからパワハラをするつもりは全くないと言い訳した。

 

これもまた、典型的な嘘つきの例である。このタイプの嘘つきは、事実認識を歪曲させるタイプの嘘つきである。この件の場合、明らかにパワハラと認定される発言が行われた(この点については発言内容について双方が事実認定をしているので間違いないだろう)のであるが、社長サイドとしてはこれがパワハラではないと主張したいわけである。そのために、これがパワハラではないという歪んだ事実認識に整合するようにあらゆることが説明付けられる。例えば、芸人と社長以外を追い出して密室を作った後に最初に録音をしていないか確認したのは場を和ませるための冗談だった、とか、全員をクビにするという発言は身内感覚で言っただけで本当にクビにするつもりはなかったとか、パワハラではないという認識に沿うように問題になっている発言一つ一つに説明が付けられていった。ここに典型的なこのタイプの嘘つきの特徴が見える。それは、都合のいい様に事実認識を曲げるためなら、いくらでも嘘をつくことをいとわないということである。そして、面白いことにこのタイプの嘘つきは、嘘をついて自分に都合のいい事実認識に至るように根拠をでっち上げることが一通り自分の中で出来ると、それで満足してその歪んだ事実認識をあたかも誰もが納得する正当な認識だと思い込む。ここに至ると、本人はそれが本当だと思い込んでいるので、すらすらと自分に都合のいいように事実関係を歪んだ形でいくらでも説明出来るようになるのである。

 

このタイプの嘘はパワハラをする上司に非常に多い。パワハラをする上司は、自身がパワハラをしていないという正当化を常に行いながらパワハラを行う。だから、あらゆるパワハラ行為に、後付けで嘘をついてでもそれがパワハラではないと主張するストーリーを作り上げる。それが日常化したパワハラ上司は、あらゆる場面で事実認識を自分に都合のいいように歪曲させ、その認識を回りに強要するようになる。しかし、今回はそう都合よくは行かなかった。嘘というものは、嘘をついた側の嘘をつくコストの低さに対して、嘘を検証するコストの高さが非常に高いという非対称性によって成り立っている。ところが、今回は記者会見という場で公に対して嘘をついた。そうなるとたくさんの記者や会見を視聴した市民がそれぞれ少しずつ嘘の検証コストを払うことによって、容易にこのコストの非対称性を覆すことが出来てしまう。嘘をつく側に嘘ついているという自覚がなくなり、嘘つきが得をすることができない局面でまで嘘をついたことが結果的に墓穴を掘ったわけだ。

 

たった数日で、典型的だが例示の難しい嘘の二つのステロタイプをはっきりと見ることができた。非常に貴重な経験をさせてくれて、吉本興業ありがとう。

 

コンビニ問題、たった一つの冴えたやり方

コンビニにまつわる問題が最近世間を騒がせている。少し前は恵方巻きや弁当などの食材が大量に売れ残って廃棄される問題が議論されたし、最近では24時間営業は是か非かといった問題が活発に議論されている。やれ、コンビニはもはや社会インフラだ、とか、災害時の役割がある、だとか、消費者も健全なコンビニのあり方に協力すべきである、とかいろんな意見があるが、根本的な構造的問題に踏み込んでいないのがどうにももどかしい。

 

その根本的な構造的問題とは、フランチャイズのロイヤリティー契約だ。もちろん、ロイヤリティー契約がなければそもそもフランチャイズなんて形態での経営は出来るはずがない。でも、今のロイヤリティー契約の形態こそが、多くの問題を産んでいる元凶なんだから、そこに触れずに目先の問題を解決しても、そんなのは場当たり的解決に過ぎない。

 

今のロイヤリティー契約は、おおざっぱに言うと営業利益に対して一定の割合(加盟店ごとの契約によって変動する)でロイヤリティーが発生する。ここでいう営業利益とは、実際の売り上げから商品仕入れの代金を引いた粗利のことだ。営業利益からロイヤリティーがさっ引かれた後、残った利益から人件費や光熱費などの店舗を回すために必要な経費を引いた残りがオーナーの得られる利益となる。この仕組みがコンビニで起きている様々な問題を引き起こす原因となっている。

 

1) 24時間営業問題

 

コンビニ加盟店は24時間営業を義務づけられている。これに違反するとペナルティを支払わなくてはならない。ところが深夜営業を行うと売り上げはそれほど大きくないにも関わらず、昼間よりも高い人件費を払わなければならない。しかし、フランチャイズの契約上、本部は売り上げさえ上がればそれがどんなに微々たるものでもロイヤリティー収入が発生する。一方で、それによって増加したコストはすべてオーナーが負担する仕組みになっている。深夜営業のコストに見合う売り上げが発生しようとしなくとも、本部は確実に深夜営業によって利益を得る仕組みになっているから、コンビニ各社は時短営業に及び腰なのだ。これって、消費者が多少の不便を我慢して協力するとかいう問題じゃなくね?

 

2) ドミナント出店問題

 

海外の一部の国では明確に規制されていたりもするのに日本では全く規制がないのがドミナント出店だ。潜在的顧客がいる地域に集中的に出店数を増やすことによって、その地域におけるブランド集客力を高め、競合ブランドに対抗して利益を最大化することが出きるとされている。でも、これって本部にとって利益を最大化できるだけなんだよね。本部のロイヤリティー収入は売り上げが増えれば確実に増えるから、その地域で自社ブランドが獲得出来る顧客数が増えればその分だけ確実に増える。顧客数の増加は潜在的顧客の掘り起こしであったとしても、他ブランドとの競争に勝って自社ブランドに誘導出来た結果でもどちらでも構わない。ところが、加盟店にとってはそうじゃない。全体の顧客数が増えたとしても、全体の顧客数をその地域に出店している加盟店で分配するわけだから、加盟店の数が倍になれば、当然顧客数も倍になっていなければ各加盟店の利益を賄う事が出来ない。なぜなら加盟店が負担する店を回すための経費は加盟店の数に比例するからだ。ところが、フランチャイズ本部にとっては、加盟店が増えれば増えるほど収入が増すシステムになっているのだから、大きな利益が上がっている店舗ほど、近隣にドミナント出店をしてその店舗でまかない切れずに取りこぼしているであろう顧客を獲得しようというモティべーションになる。逆に他社がドミナントを仕掛けて来てその地域の顧客を奪われればそれだけ収入が減る仕組みになっているのだから、どこか一社でもドミナント戦略を取れば、当然どのフランチャイズドミナント合戦という不毛なチキンレースに突入せざるを得なくなる。つまり、利益の上がっている地域ほどドミナントしたくなるし、ドミナントされやすくなるという加盟店側にしてみれば不安定な構造になっているのだ。

 

3) 食材廃棄問題

 

恵方巻きが大量にコンビニに納品され、売れ残りが大量に廃棄される問題は毎年節分が近付くと話題になるが一向に解消される気配がない。また、少し前には売れ残った弁当を値下げ販売した加盟店がフランチャイズ本部からペナルティを受け、裁判を起こすということもあった。なぜこんなことになっているかと言えば、これもまたロイヤリティー契約の性質によるものだ。ロイヤリティーは売り上げが発生しなければ得ることは出来ない。ところが、実際に販売される商品については仕入れは全てフランチャイズ本部に対して発注されるので、実際に店舗に納品さえすれば少なくとも商品の代金は本部が得ることが出来る。食材の場合、保存が利かないので納品されても売れない商品が発生する。そのような商品は消費期限が来た時点で廃棄されることになる。廃棄された場合、商品の仕入れにかかったコストは営業利益を圧迫するが、本部にとっては既に仕入れ値分は支払われているので、それである程度相殺される。ここで問題になるのが原価率である。当然、商品には仕入れ値と原価がある。コンビニが商品の仕入れに払う値段は必ずしも商品の原価ではない。ここでいう原価とは商品の製造にかかるコストと流通にかかるコストの両方を含んでいる。もし、この原価と仕入れ値との差分が店舗での販売価格と仕入れ値との差分よりも十分に大きければ、売れなくて廃棄されたとしても結果的に本部が得られる収益が大きくなってしまうのだ。もちろん売れれば売れるだけ利益は上がるのだが、売れなくても大量に納品するだけでそこそこの利益が得られるのであれば、当然、販売予想とはかけ離れた過剰な納品が行われる動機となる。それが食材の大量廃棄へとつながっていく。

 

4) サービス複雑化問題

 

いまやコンビニはなんでも出来る。公共料金の納付やらコンサートのチケット手配、宅急便の発送だけでなく受取まで出来る。もはやコンビニ店員は日本で最も複雑な業務をこなす労働者といっても過言ではないレベルである。なんでこうなった?そりゃ簡単。だって人件費は本部が負担しなくていいコストだから。実際に仕入れが発生する商品は売れないと儲けにならない。だけど、サービスは主に人件費がそのコストの主体だ。だから、サービスがどんどん拡充されても、それを負担するのは加盟店側であって本部ではない。さらにひどいことにこれだけ複雑になったサービスを従業員に教育するコストだって加盟店側の負担だ。何しろ従業員は加盟店が雇うのであってフランチャイズ本部が雇うわけじゃないから。もちろんサービスが負担になって店舗の売り上げにまで影響するようになれば本部の利益も減少する。しかし、サービスの拡充によって顧客を引きつける効果があると期待される限りはサービスはどんどん拡充されるだろう。

 

最近問題になっている主な問題をざっと上げてみただけでも暗澹たる気分になってくる。全部、今のフランチャイズ契約の構造からはどうしても避けられない問題だからだ。もちろん、フランチャイズ本部に良識があれば、このような構造的問題を自覚してオーナー利益を最大化するために努力をすることも可能だろう。しかし、実際のフランチャイズはオーナーの利益を圧迫することになっても本部の利益を最大化する方向に舵を切っているように見えてならない。なぜならそれが可能な不平等な契約になっているからだ。でも、ここに一つだけ、フランチャイズがオーナー利益の最大化を図るように動機付ける単純明快な方法がある。それは、ロイヤリティー料が営業利益に対する比率でなくオーナー利益に対する比率で計算されるように変更することだ。

 

この変更はどんな解決をもたらすだろうか。売り上げが見込めず高い人件費を支払わなければならない深夜営業は当然オーナー利益を大きく損なうので、ロイヤリティー収入にも打撃をもたらす。そうなると、当然深夜営業による利益の向上が見込めないエリアでは深夜営業はしない方がいいという判断をするようになる。これで24時間営業の問題は解決する。ではドミナント出店はどうか?これも、ドミナント出店によって十分な顧客が獲得出来ない場合、オーナー利益が減少するためにロイヤリティー収入も減少する。だから、そもそものドミナント出店に踏み出すかどうかにそれによる顧客の獲得が出店に見合うかどうかという経営判断が必要になる。これこそ市場分析を担当するフランチャイズ本部がやるべきことである。

 

サービスの複雑化についても多少の効果はあろう。今やコンビニは割に合わないバイト先である。人手不足の昨今はコンビニも時給を上げないとバイトが来てくれない。サービスが複雑化してそれに見合う時給を払わないとバイトが集まらなくなれば、当然人件費の高騰はオーナー利益を圧迫し、ひいては本部が得られるロイヤリティー収入の減少につながる。ならば、妥当な労働量になるようにコンビニのサービスを見直す動きも起きるだろう。

 

残念ながら食材廃棄問題についてはこの変更だけでは効果は期待できない。これはフランチャイズ契約の良心の問題だからだ。仕入れ値とは実際の売価と原価の差分という販売利益を小売りと製造元でどう分配するかという問題に過ぎない。一般の商品流通ではどこから仕入れてもいいのだから、仕入れ値が高い商品は仕入れて貰えないので競争原理が働く。しかし、フランチャイズ契約の場合は本部からし仕入れられないので、そこで本部が不当に仕入れ値を高く設定することが出来る。ここは、原価率に対する規制が必要であろう。しかし、もし原価率が廃棄されるよりも売れた方が儲かるように設定されてさえいれば、ロイヤリティーの算出法の変更によってオーナー利益の最大化こそが本部の利益となることで、売れる数だけ納品した方がいいという経営判断になるだろうことが想像に難くない。

 

もちろんこの変更にも別の問題が生じる側面がある。例えば、加盟店が身内を不当に高い給料で雇った場合、本来ロイヤリティーを払って本部と分け合うべき利益が加盟店にこっそり付け替えられることになる。しかし、今のようなオーナーの利益が上がっていないのに、フランチャイズ契約を打ち切るとペナルティを支払わないといけないので店を畳むことすらできない、というおかしな状況よりも、本部がきちんと加盟店の経営を査定して、正しく経営していないと判断された加盟店とのフランチャイズ契約を本部から打ち切る方が、資本主義としてはよっぽど健全ではないかと思うのだ。