雑念書き殴り

時々考え込んだことを無駄にしないために書き留めておく

透析中止の選択肢は是か非か問題に絡んで

公立福生病院で透析が必要な患者に透析中止の選択肢を提示して、結果的に透析中止によって多くの患者さんが亡くなったという事実が発覚した。どうやら、担当医と上司が確信犯であったという線が濃厚になりつつあるが、この話題を知人の開業医に茶飲み話にふってみたら医者目線でいろいろと話してくれ、なるほどそう考えるのかと興味を持ったので書き留めておく。

 

まずは、ガイドラインのお話。世間では医療ガイドラインはルールであって絶対に従わなければならないと受け止められており、実際にテレビでコメンテーターとして出演している医師もみんなそう話す。今回の問題はガイドラインに従った治療を行わなかったことが悪だという論点で多く語られているが、医者の目線から見たガイドラインは絶対的なルールではないそうだ。医者がガイドラインに従う最大の理由は、医療ミスだという理由で訴訟された時にガイドラインに従った治療であるから医療ミスではないという主張を行うことが出来るからだという。医療がどんなに進歩しても、必ずしも全ての患者さんが救えるわけではない。ところが、死亡率が非常に低くなった医療種別において患者さんが亡くなったりすると、それが不可抗力であったとしても医療ミスではないかと疑われて訴訟されることになる。だから、医者の防衛手段の一つとしてガイドラインによってその治療が学会が認めた適切な手法であったことを保証する必要があるわけである。つまり、ガイドラインとは医者が自身を守る為にある手段なのだ。一方で、患者の状態によってはガイドラインに従わない選択をとった方が患者の利益になるということもあり、ガイドラインに従った治療しか行わないことが必ずしも患者のためにならないこともある。だから、ガイドラインが絶対的なルールであるという世間の誤解は患者のためにならないからやめて欲しいのだという。ガイドラインはあくまでも医療をする側の都合によって決められているものであって、患者のために決められているものではないと認識するべきであるというのが知人の見解であった。

 

次に不必要な透析のお話。医者の側から見ると、不必要な透析は中止するべきであるという考えはむしろ共感出来る考え方なのだという。もちろん、今回のケースにおいて不必要であったとは知人も考えていないので透析中止の選択肢はあり得ないわけであるが、世の中に不必要な透析が蔓延しているのではないかという疑いを医者も持っているのだという。実際に、何らかの腎臓以外の治療の副作用によって腎機能が低下した患者さんを念のために腎臓の専門医に紹介すると透析しましょうという結論になるケースがあり、そういった時にその透析は不必要な透析なんじゃないだろうかと考えることがあるという。というのも、透析というのは言い方は悪いが食いっぱぐれのない非常に安定した収益を上げられる医療である。透析患者は常に週何回かの透析治療を必要とするから、確実に定期的に通ってくれるいいお客さんになってしまうわけである。保険制度によって患者の負担は一定額に抑えられ、自治体の助成がある場合もある。しかし、医者にとっては透析という比較的高額な医療を確実に定期的に受けてくれるわけだ。当然その医療費の中には医者の報酬分も含まれる。透析クリニックにとっては担当患者さんの人数によって比例的に利益が確定するという仕組みになってしまうのである。であるから、透析クリニックにとって利益を最大化する方法は透析の機器が回転させることが出来る最大の数の患者さんを確保することである。実際、今どきの透析クリニックは患者を決まった時刻に送迎までしてくれるいたれりつくせり状態である。決まった時刻にきっちり透析を受けてもらうことで透析機の回転効率を最大化できるのだから、れっきとした経営努力である。しかし、そうなると構造的な不正が蔓延する素地が出来てくる。なにしろ、機器を最大限回転出来るだけの患者を確保することが最も利益を最大化する方法なのだから、患者の枠を埋めるために透析しなくてもいい患者に透析を勧めるインセンティブが働くのが道理である。おそらくは、潜在的な患者を紹介することでキックバックを行っているようなクリニックも存在するのではないかと知人は疑っているという。実際に不必要な透析と思われる透析が蔓延しているからこそ、今回の担当医の様な透析中止の選択肢を提示するべきだという極端な考え方もそこにいたる道筋に必ずしも道理が通っていないわけではないのだ。

 

最後に公立病院にこんな極端な考えの医師がいるという問題について。これは、医者から見ると逆だという。公立病院であるからこそ、こんな医師がいられるのだという。民間の病院にとっては、透析患者が透析を中止して得るものは何もない。透析を継続してくれる限り、患者も生き続ける事が出来、病院も利益を上げられる。したがって、もし自分の病院で透析中止を提案する医師が務めていたら、即クビにするというのが知人の見解である。民間の病院は、利益を上げられなければ潰れてしまう。患者にとって不利益になって、なおかつ病院にとっても一文の得にもならない透析中止はあり得ない選択である。だから、収益の優先度合が低い公立病院でなければこういう考えの医師が勤務することは不可能なのだ。逆に、公立病院の医師は報酬も民間に比べて少なく、待遇も比較的悪い。それでも働くのは医療人としての使命感が大きなモティべーションであろう。その高い使命感があるが故に、透析は不必要な治療であるという極端なイデオロギーを持ってしまったのだろう。患者の立場からすると公的な病院ほど良識のある医師が務めていると期待するのは当然であるが、実際は必ずしもそうはならないというのが現実である。

 

なるほど医者の視点から見ると、全くがらりと見え方が違ってくるものである。しかし、今回の問題で一番驚いたのが、この問題から元フジテレビアナウンサーの長谷川豊氏に飛び火しなかったことである。終末期とは何かとか不必要な透析とか、明らかに長谷川氏に飛び火してもおかしくない問題が提起されたのに、全く飛び火して再炎上しなかったのは、もはや長谷川氏が世間からは完全に忘れ去られた存在であるということを意味しているのだろうか。